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福岡高等裁判所 昭和25年(う)1505号 判決

控訴人 被告人 太田強

弁護人 堤牧太

検察官 坂本杢次関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人堤牧太の控訴趣意は末尾添附の書面記載のとおりである。

控訴趣意の第一点(存在しない訴訟費用の負担を命じた違法)について。

所論は原判決が負担さすべき訴訟費用が存在しないのに被告人に之が負担を命じたことを非難するものであるが、訴訟費用に関する裁判は附隨的裁判たる性質を有するものであるから、訴訟費用負担についての不服申立は本案の裁判に対する上訴が理由のないときは不適法として排斥すべきことは刑事訴訟法第百八十五条の趣旨に照して明かである。そして本件において本案の裁判に対する控訴の理由のないことは後に説明するとおりであるから、論旨は結局採用することができない。

控訴趣意の第二点(事実の誤認)について

土地家屋(特に店舗向きの家屋)の賃貸借に際し、地代家賃の外に賃借人から賃貸人に対し支払われる金銭を慣行上広く権利金と呼んでいるが、法令上之に関する何等の規定もないので各場合における当事者の意思を解釈してその性質及効力を決定する外はないことになる。ところで一概に権利金と云つてもこの中には「ノレン代」の性質を有するものと、「賃借権設定の対価」と云わるる範疇に属するものとがあるのであつて、前者は賃借家屋が店舗向きとして有する特殊の場所的利益や永年老舗として世間に著名で信用があつたというような営業上の要素に対する対価として支払われ又は之等無形の経済的価値の他に既設の店舗の飾窓、陳列棚その他有形的な造作等を加へて一体とし、それに対する対価として支払われるものもあるから、賃貸家屋の使用収益に対する対価そのものではなく、他の有形無形の営業上の価値に対する対価として支払われるものである。従つて、かような性質を有する権利金は地代家賃統制令の目的に照らし、同令による統制外におかれているものと解するのが相当である。之に反し後者即ち「賃借権設定の対価」に属する権利金と呼ばれるものの中にも二種のものがあるのであつて、その一は権利金を支払へば其後賃借人は賃貸人の承諾を得ずして賃借権を第三者に売渡すことができるという趣旨のものと、他は単に目的物の賃借を欲するためにのみ支払わるる趣旨のものであるが、何れにせよ、前者は讓渡性のある賃借権を取得するために支払われるものであつて、賃迭権取得の対価、結局は賃借権の対価というのと同意義であるから、賃料と同じ性質を有するもの従つてそれは賃料の一部ということができるし、後者は賃貸目的物の需給関係に基く賃料のプレミアムに外ならないのであるから、それが賃料の性質を有するものであることは多言を要しないであろう。そしてその権利金として授受された金銭は賃貸借終了の際賃借人に返還されない趣旨の場合は勿論、返還される趣旨の場合であつても賃貸人は賃貸借の継続する間は無利子で権利金を利用しうるのであつて、この経済上の利益即ち節約しうる金利が賃料に附加せられて実質上の賃料を構成するのである。果してさうだとすればかような性質を持つ権利金が地代家賃統制令の目的からその取締の対策とされることは当然と云わなければならぬ。同令第十一条昭和二三年政令第三二〇号第十二条の二の存する所以もここにある。尤も弁護人指摘の如く賃借人の交迭に当つて旧賃借人に権利金の返還を約定してある場合には敷金に類似するのであるが、敷金は家賃其他賃貸借関係に基く賃借人の債務の担保を目的として授受されるものであつて、その金額も家賃月額の二、三ケ月分を通常とするところ本件において被告人と各賃借人との間に授受された金員は家賃其の他の賃借人の債務担保の目的で授受されたものでなく且つその金額も家賃月額の十倍以上であることは記録上昭かであるから、敷金ではなく賃借権設定の対価たる権利金であると認定するのが相当である。そこで記録を検討して見ると、成る程弁護人挙示の証拠書類によれば原判示梅原正之外八名が被告人から本件家屋を賃借するに当り家賃の外に各自一万五千円乃至二万円を被告人に支払つたのは造作並に店舗用設備の対価としてであつたかのように見えるが、被告人の原審公判廷における供述、証人里藤友に対する裁判官に対する裁判官の尋問調書、司法警察員作成の渡辺七郎、三浦土佐雄、前田清吾、梅原正之の各供述調書によれば、本件各賃貸家屋は旅館跡の一家屋を買取つて改築したもので中央に通路を設け、その両側を十数軒の店舗に仕切り一連のマーケツトを形成させるために区切られた個々の店舗を魚屋、雑貨屋、野菜屋等諸種の営業者に賃貸したものであるが、それは既存の一家屋の内部を荒壁で十数軒の店舗向きに仕切つたという程度のもので、疊、建具、電燈、水道、戸締設備は皆無であつたので、原判示梅原正之外八名は入居後各自夫々新規開業のために一万数千円乃至三万円の費用を投じて右諸設備を施したものであることが認められるので、同人等と被告人との間に家賃の外に授受せられた一万五千円乃至三万円は営業権讓渡の対価でないことは勿論所論のような賃借人の営業上の利便のために特に施した造作並に店舗施設讓渡の対価であるとは到底首肯し難い。又弁護人の選示する児島鉱輔の司法警察員に対する供述、同人提出の始末書、原審証人執行類四郎、同園田松義の裁判官に対する右供述に徴すれば、元旅館跡の古家屋を買受けて本件マーケツト式店舗に改修するに付予想以上の工事費を要し銀行よりの借入も不能であつたため之を賃借入居を希望する人々から右計画遂行上の協力金として原判示の如く各個に一万五千円乃至三万円を家賃の外に出金せしめることになつた経緯は首肯できるが原判決挙示の証拠によれば、その出金せしめるに至つた動機、その名義の如何を問わず、被告人は特別縁故者の一、二名を除き、賃借希望者に対し各個に家賃の外に家賃月額十倍以上の多額の金銭の交付方を要求しその要求に応ずる者との間に本件家屋の賃貸借を締結したものであることを看取できるから、家賃以外の右一時金の交付は賃借権設定の対価であつて、それが仮令貸借人の退去の際返還さるる趣旨のものであつても無利子で之を利用しうる経済上の利益が本来の家賃に附加せられて実質上の家賃を構成するものであることは前に説明した通りであるから、地代家賃統制令の取締の対象外にあるものとは云えない。以上の次第であるから原判決には所論の如き事実の誤認はない。しかし乍ら被告人の本件権利金受領の所為を問擬するには行為時法によるべきものであるから、昭和二十一年勅令第四四三号地代家賃統制令第十一条において準用する同令第六条第一項の規定違反として同令第十八条第一項第二号を以て処断すべきであるのに原判決が被告人の本件所為を問擬するに本件犯行後昭和二十三年政令第三二〇号によつて新設せられ同年十月十九日から施行せられた同令第十二条の二の規定違反として同令第十八条第一項第三号を以て処断したことは法令の適用を誤つたものと云わなければならないが、右政令第三二〇号による改正の前後により罰則規定たる右第十八条第一項の何れの号を適用するも刑に変更はないのだから、右法令適用の誤は判決に影響を及ぼさないこと明かである。従つて原判決は結局正当であつて論旨は理由がない。

控訴趣意の第三点(量刑の不当について。)

記録全般を検討し所論指摘の如き事情の外主観的客観的一切の情状を彼此考量するときは、原判決の刑の量定は必ずしも不当であるとは云えないから論旨は理由がない。

その他に原判決を破棄すべき事由もないから刑事訴訟法第三百九十六条に則り主文のように判決する。

(裁判長判事 石橋鞆次郎 判事 筒井義彦 判事 柳原幸雄)

弁護人堤牧太の控訴趣意

第一点原判決は法令の適用を誤りその誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかである。即ち原判決はその主文第三項に「訴訟費用は被告人の負担とする」と宣言し、その理由の主段に於て「訴訟費用に付ては刑事訴訟法第百八十一条に則る」と説示して居る。ところが本件記録の全部を調査しても本件に於て被告人に負担せしむべき刑事訴訟法第一条各号所定の公訴に関する訴訟費用の存在を認めることが出来ないにも拘らず、原判決が前示のように刑事訴訟法第百八十一条を適用してその主文に於てその負担を命じたことは、法令の適用を誤つた違法あるもので、国家が現実に訴訟費用を被告人から徴収すべきや否やは別として判決主文に於てその負担を命ずべく宣言したことは結局判決に影響を及ぼすこと明かであると謂はねばならない。従つて原判決は此一点に於て破棄せらるべきものと信ずる。

第二点原判決には事実の誤認があつてその誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

即ち原判決はその理由として「被告人は大村市本町に銀座マーケツトと称し、家屋を十数軒の店舗に仕切つて賃貸せるものであるが、別紙一覧表の通り昭和二十三年七月十日頃之等の店舗を梅原正之外八名に賃貸するに当り家賃の外に借家権利金一万五千円乃至三万円合計二十一万一千円を受領したものである」と認定し、その証拠説明に於て被告人が本件店舗の賃貸に当り判示賃借人等から受領した金員は敷金ではなくて、賃貸借の継続する間之を無利子にて利用し得べきものであつて、此経済上の利益即ち節約し得る金利が家賃に附加せられて実質上の賃料を構成するが故に地代家賃統制令は家賃の額を取締る為めに権利金の授受を禁じたものであつて、被告人が受領した右金員は正にその権利金に該当するものであると断じ、被告人並弁護人の弁解を斥け被告人の右所為を地代家賃統制令第十二条の二、第十八条第一項第三号に問擬して居る。

ところが渡辺七郎に対する司法警察員の供述調書、渡辺七郎提出の始末書(記録第三〇丁以下)前田清吾提出の始末書(記録第三六丁以下)川本耕嗣の同上(記録第四九丁以下)梅原正之の同上(記録第五五丁以下)等の記載を綜合すれば同人等が本件店舗の賃借に当り被告人に支払つた家賃以外の金員は被告人が当該家屋賃借人の営業上の利便の為めに特に施した造作並店舗用施設の讓渡の対価であることが認められ、又児島鉱輔に対する司法警察員の第一回供述調書同人提出の始末書(記録第四五丁以下)の記載と原審証人執行類四郎、同園田松義の各供述に徴すれば、被告人はその妻の父里藤友見の下に引揚者に利用せしむる為め旧旅館の古建物を購入し之を改善しマーケツト式に設備したのが本件の各店舗であつて、予想以上の工費を要し、銀行よりの借入も不能で之に居住すべき人々に相談し、借家せんとする人々は協議の末被告人の右計画遂行を助け、被告人は後日退去者には返還し、又は借家人交替の場合にはその当事者の相談により後住者より支払はしむることとして徴したのが原判決の所謂権利金と称するものであつて、事実上一旦出金した人も退去の際は被告人から返還を受けたもの四名、又その後住者より支払を受けた人が一人あつたことも認められ、借家払底に際し、後日返還を受けざることを諾して支払ふた坊間流行の所謂権利金とはその本質を異にして居ることが窺はれる。従つて原判決認定のような金利により実質上家賃を構成すべき前記地代等統制令が禁ぜんとする権利金に該らないものと認めるのが、以上挙示の各証拠その他本件に顯はれた各資料の検討上妥当と信ずる。

原審検察官は昭和二十五年二月二十一日付訴因(罰金)の追加請求書に於て「択一的公訴事実」として判示授受の金員を長崎県知事の認可を受けない敷金として受領したものと主張して居るが、之れは原判決に於て認めなかつたのである。

従つて原判決が判示金員を地代等統制令所定の禁止された権利金として授受されたものと認定して之に罰条を適用したのは前段各種証拠の関係上誤認であつて、該誤認は直に判決に影響を及ぼして居ること明らかであるから原判決は此一点に於いて破棄を免れないものと信ずる。

第三点原判決の刑の量定は不当である。即ち

原判決は右第二点冐頭掲記のように事実を認定して被告人を罰金三万円に処して居るが、仮りに第二点の所論理由なしとしても、第二点に掲げた各種証拠の外に原審証人里藤友の証言を綜合して、被告人が引揚者救済の為め将又大村市の発展、商業の振興上多大の犠牲を払い施設した本件店舗の賃貸に方りその投じた費用二百万円許の一割位の二十一万円の権利金なるも夫れは後日返還さるべきものを徴したとしても、之に対し罰金三万円を科することは犯情に比し重きに過ぎるものと信ずる。況や所謂権利金を支払い店舗を借受けた人に於ても決して不当の処置ではないと主張して居る本件に於て、被告人が受領した金額も参酌せられて相当減額さるべきものと信ずる。

殊に権利金を出さねば貸さないと主張して徴した形跡の認められない本件所謂権利金が坊間流行の夫れと本質を異にして居る点にも御留意を希ひ、被告人を納得し得べき程度に止められんことを切望する次第であります。

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